2019年10月27日日曜日

恩赦55万人の謎

55万人の恩赦ってなんだろう?
海外の反応のサイトでも、「55万人もの犯罪者を許してしまうのか?」という反応もあり、実態が気になりました。

対象は軽微な犯罪に対する罰金刑などで、それも3年以上前から再犯なしの場合、刑によって制限されていた資格の「復権」などであるとか。
罰金刑への対処ということで、「犯罪者の罪を許すのか!被害者はどうなる!」という部分より、55万人もの人が資格を剥奪されて人生の再スタートをしており、それがもうすぐ復帰するのかな?という部分に驚き。

令和初の恩赦、実際に恩恵を受ける人とは? 法学者に聞く(ニコニコニュース)

記事によれば、国家資格には前提として「罰金を受けた場合には資格が取り消しもありうる」という決まりがある様子。

この場合5年ほどは資格の再取得(再受験?)できない様子なのだけど、実際に罰金で資格剥奪というのはほとんど起こらないそうで。

wikipediaにあった罰金刑の項目には検察庁の統計から毎年の罰金刑の数が引用されており、該当しそうな4,5年前の罰金刑に該当する件数は

2014:279,221件
2015:274,199件

で、この2年を合計すると発表された数字である55万件になるのかな?と。

これ以外にも、6年以上前に医師資格を剥奪されてしまった人(ただし、懲役などではなく罰金刑に処されたもの)の場合もあるのかもしれませんが、罰金という刑の重さと国家資格はく奪という重さはあまり釣り合っているように感じられない。資格はく奪となるともっと重い刑が科されていそうなイメージです。



その他、恩赦の背景へ思いをはせる

恩赦というものの背景として、上記のニコニコニュースの記事ではめでたい出来事にあわせて慈悲を与えるとか、支配者側の人気取りのために利用している・・・と言われる面以外にも、時代の移り変わりに対応するため…といった説明が書かれていました。日本でも戦争終結時などに適用されたこともあるそうで。
恩赦は世界的にあるもののようで、悪い場面を想像すれば、古い時代の絶対君主が

「俺に逆らったお前は死刑。俺が気に入らないそっちのお前は牢獄行き」

・・・といった無茶な出来事が起こっていたりしていて、その君主の死に際し、次の君主が「父上のわがままで投獄されていた人についてはひとまず解放してもいいだろう」という形で行われた場面もあったのではないでしょうか。
日本ではどうだったかわかりませんが、生類憐みの令のように君主の死とともに法令そのものが無くなったりはしているので、このときにも恩赦はあったのかもしれません。
(綱吉はやや見直されつつあるようですが)

2019年9月24日火曜日

大麻合法化運動の嘘

高樹沙耶「大麻はタピオカのようなブームになる」と発言(週刊新潮)

なんかなあ・・・

大麻合法化には否定的な視線を向ける人が大多数だとは思うものの、あまり根拠なく反対しているだけに思います。

・言っている内容もこいつ自身も信じられない
・よその国はよその国。だいたい日本より治安悪い国だろう
・依存性は低くても、ドラッグ使用の導入部分となりえるため、単に大麻だけの問題として合法化するわけにはいかない
・大麻が薬として使えるとか嘘ばっかり。普通に安全な薬をがんばって作ればいいだけ

こんな否定論を見かけます。
薬効の部分について、やや誤解もあるのでこれらの否定論も完全に正しいわけではなく、こういう言説を「言うだけ自由」ではなく「理論的にも法的にも間違ってるから黙らせる」流れに入っていいのではないでしょうか。

以下、何が間違っているかについて一つずつ

・「大麻は麻薬ではない」の嘘
・「大麻遊びは日本の伝統」の嘘
・「大麻なんて山に入ればどこにでも生えてる」の嘘
・「身体依存なんてそもそもない。精神的に依存しなければ一切危険はない」の嘘
・「大麻は薬になる」という、嘘の中の真実

・「大麻は麻薬ではない」の嘘
この言説の根拠となるものは、大麻取締法とは別に麻薬取締法(?)が存在することで、これにより大麻は麻薬ではなく誤解されているという説。
これら2つの法律は「薬物四法」というものの一つでwikipediaでも見ることができます。

麻薬取締・・・は厳密には「麻薬及び向精神薬取り締まり法」ですが、戦前の初期の麻薬取締法では大麻(印度大麻)も含まれています。
GHQの指示によりつくられた戦後の法律の中で、麻の繊維産業を認めるために大麻を別の法律で規定しているというのが実態。

また、四法の中には覚せい剤取締法もあり、これも麻薬ではないと主張されるのでしょうか?
こちらが別の法律になっているのは、覚せい剤の一歩手前の段階に風邪薬などに使われる(使われた?)メタンフェタミンが含まれるため、製薬業者あたりに例外を作るために別の法律が必要なためです。

これらの事情により、麻薬及び向精神薬取り締まり法に含まれないからといって大麻が危険な薬物ではない、麻薬ではないというのは屁理屈であり、誤解しているのであればそれは何も知らない人であるということ。もし分かっていてこの誤解を広めているのであれば、それは嘘をついて人を騙そうとしている人です。

・「大麻遊びは日本の伝統」の嘘
その説の根拠となるものを見たことがないのですが、日本史最大の謎は各時代の庶民の生活だなんて言われるくらいに、昔の人の生活はよくわかっていません。

大麻比古神社・・・という場所にて、大麻を吸う老婆(仙人?)のレリーフがあるとかで、個人ブログに写真が載っていたりします。また神社のシンボル(神紋?)も麻。
神社の成立などを見てよれば、普通に繊維麻の産地であったことが伺えますが・・・

昔の日本・・・というか昭和前半くらいまで日本の文化というのは均一性がなく、ひょっとしたらホラー映画のような「山村の秘祭」なんてもので薬物を使用していた可能性は否定できないのですが、全国的に大麻を吸っていたとか、江戸時代の浮世絵でみられるくらい大麻を吸うのが当たり前というわけではなかった様子です。

また、祖父の代に地域全体で繊維用に麻を作っていたらしいのですが、「葉っぱが売れるなんて知らねえから全部捨ててたわw 麻ってのはな、茎の部分の薄皮を使って布にするんだよ」なんて話をしていました。小学生くらいの私に聞かせた話なので、大麻バンザイ派な人はもっと裏があったと思われるでしょうが。

・「大麻なんて山に入ればどこにでも生えてる」の嘘
日本産の大麻は、繊維業のために使われていたものなのですが、それらが山中に自生している場合もあるそうです。地域は限られている様子ですが。
薬物として使われるものは印度大麻と呼ばれる外来種で、マリファナを作るための薬物を含む量は全くちがうようです。かき集めれば薬物を作れなくはないのかもしれません。伊賀忍者の記録では毒物として阿呆薬というものがあったようです。

このように品種が違うので、仮に繊維業者として麻を取り扱っている人でも、山の中に自然に偽装していても、薬物用の印度大麻を育てていたら捕まるはずです。

・「身体依存なんてそもそもない。精神的に依存しなければ一切危険はない」の嘘
大麻は依存性が低い。たばこよりもずっと低いことは実験でも統計でも明らかである・・・らしい?
そもそも依存なんて精神的に弱って薬に依存する人がいるだけで、やめられるひとは簡単にやめている・・・という意見もあります。精神依存と身体依存については分かりやすい比較は見つけられません。
(サイトにより、解釈がかなり異なる)

たばことの比較については・・・まあたばこが認められてることがおかしいと思うので・・・私の周りでは、タバコを辞めようとして辞められない人って見たことないですね。いつのまにかさっさと辞めてしまっています。
精神依存と身体依存の違いは体感していないのでわからないのですが、知人が向精神薬(SSRI?)を服用時、使用している薬品の名前を聞いて調べてみたことがあり、身体依存に関わりそうなものがありました。断薬と減薬という対策法の差です。

一種の薬物には使用をやめた際の反動が非常に大きく、いずれ精神が持ち直して以降にもすぐに薬をやめるわけにはいかず、その際には断薬ではなく減薬を行うのだそうです。
つまり、「今日から一切飲まないで大丈夫」とするのではなく、「今日から以前の半分だけ飲んでください。薬が足りず苦しいかもしれませんがそれに慣れたらまた減らしていって薬なしの生活に戻りましょう」としないと厳しいらしいです。

1錠の薬を切るためのピルカッターなるものも売っていました。
その向精神薬を使用している知人は休日に断薬してみて地獄を見たなんて話をしていたりして、その直後は「向精神薬がなかったらもう社会に復帰できない。一生薬と生きていく」なんて言っていたものですが何年も経ってくると副作用が多く出てくるようになり、生活が安定した段階でやめる方向に動くようです。やめられずずっと飲み続けると、最終的には心臓や腎臓を傷める結果になってしまうようです。

・「大麻は薬になる」という、嘘の中の真実
大麻に薬効があるというもの。
薬効として以前に、がん治療のターミナルケアというものに、がんの痛みを緩和するための方法として、大麻の服用が挙げられます。
ノーベル物理学賞の科学者を描いた「ファインマンさん 最後の授業」などでも、がんの痛み緩和のために服用しているらしいと描かれています。

ターミナルケアについては、ブラックジャックによろしくのがんの話でも紹介されていますし、最近ではソードアートオンラインにて、ユウキというプレーヤーがターミナルケアとして無菌室内でVR空間に接続していたという話がありました。VR技術を用い、身体の苦しさを感じずに余生を過ごすことの可能性が示されました。
(映像を見ながらゲームコントローラーで操作するゲームではなく、現実の体の感覚をカットする装置なので、現代の技術からはかなり遠いものですが)

薬効については、大麻の有効とされる病気の一覧も見られ、一部の難病については唯一の可能性なんて場合もあるらしい(?)です。

以下、wikipedia医療大麻より引用

4276人の統計からは、約7割が不安、不眠、痛みに用いており、74%は他の薬から大麻に置き換えたり、薬の量を減らすことができたという[54]

引用終わり
上記のページの、適用疾患の項目に多数の病名が並んでいます。
どこかのニュースで、唯一の治療法としてカナダ移住を希望する人の記事があった気がしたのですが、ちょっと見つかりません。

これらの病気に対し、「代替手段は本当にないの?」というものから「もっといい薬を作ろう」なんていう何年かかるかわからない意見まであります。
社会全体から見れば、「社会全体のことを考えて大麻を大々的に合法化するなんてありえない。薬が必要な人はもうちょっとまって」という意見もわからないではないですが、いざ自分が大麻さえあれば治療が進む、痛みに苦しめられずに余生を過ごせるという状況になってしまって、自分でどのように感じるかは少し考えてみたいものです。
これらの現状を見るにあたり、大麻取締法が難病治療、薬品開発に支障をきたしている部分があると思われます。

この法律は、繊維業に限って大麻を例外とするために「麻薬及び…」から独立した法律なわけで、現状、医者であれ研究者であれ、大麻を扱うことは許されません。製薬会社も同様です。

法改正の必要を感じる部分として、覚せい剤のように薬品として認め、医療、研究に限り、(極めて厳しい条件のもとで)認められてもいい分野があると感じます。

「がんに苦しむ親のため」とかならわからないでもないのですが、娯楽大麻を推し進め、あまつさえ違法な現在に服用して逮捕されてるような人がいると、このような医療大麻の可能性が閉ざされてしまうので消えてほしいですね。

「厳しい条件」の例として、入院患者にのみ投与可能みたいなものはどうでしょうか。これでさえ、製薬会社の奥底にメタンフェタミンがあるのよりも拡散経路が怖い状況にはなってしまうのですが、現状の「絶対に医療で使用できない」状況は改善されるのではないでしょうか。

体内にはいった錠剤を吐き出して転売したり、薬を手元で貯めたりなんてのができないようにするためには、病院に泊まる必要ありとするかでの合法化は考えられないだろうか。
がんの痛みの緩和のための使用でも、なんでも「たばこのように常時吸う必要もないんです。数日に1回、1週間に1かい吸うくらいでも十分に効果がある」なんて話を見ましたが本当でしょうか?もしそうであるなら、病院、薬局、さらには交番でお巡りさんの前でのみ吸える(マリファナは交番等に常備)という形にすれば、許可されてもいいのではないでしょうか。

医療大麻の合法化という部分については、一部の難病患者向け、薬品開発などの面からもう少し考慮されてもいいと考えています。

・そもそもなぜ合法化しているのか?
合法化した国の意見というのはどういうものなのでしょうか。そちらについて厳しい目で判定する必要があるでしょう。
アメリカあたりでは州ごとの法律で規定されていますが「大麻が合法か」という部分と関係なく、合法なドラッグというものなら複数が薬局に並んでいる状況のようです。
ドラッグ完全否定な州はないのでしょうか?
そして、銃乱射事件のようなものが起きるたび、ドラッグ服用歴なんかも話題には上るようです。

合法化を推進するにあたっては、合法化したあとの影響もよく考えなければならないでよう。日本でもそのような事件が起こってしまうかもしれない。「病院で大麻を処方されてからわずか2時間後の凶行!」なんてことになってしまった場合、被害者、その遺族からすれば大麻合法化は大きな過ちであったとしか考えられないでしょう。

日本では合法というものではありませんでしたが、法律、厚生労働省の調査の及ばない範囲のものは「合法ドラッグ」としてインターネット等で流通していたことがあります。
これは調査を行えばすぐに人体に害があるものと判明し、規制されることとなるのですが、売り手側が”合法ドラッグ”と呼んでいるのに対し、規制側は”脱法ドラッグ”、最近では”危険ドラッグ”と呼ぶようになりました。

何かで見た例としては、数回(10回以上の例だろうか?)の服用ののち呂律が回らなくなり、病院で検査してもらったところ「脳が収縮している」という診断結果が出たというものもあったとか。

2019年3月28日木曜日

日本人の幸福度が低い理由

世界幸福度ランキング 2019

こういうものが発表されるたび、日本は物質的に豊かであっても国民の生活は途上国レベルの苦しみに満ちているだの日本バッシングにつながる意見がみられます。

反論として、日本人は「俺は幸せだ!サイコーの人生だよ!!毎日がハッピー!!!」などと自己表現しないからとか、幸福を測る指標が日本人の価値観にあってないなどの批評も出てきます。

今年のものを詳細に見たわけではないものの、客観的な指標(インフラの整備、犯罪率など)は優秀なものの、主観的なアンケート結果(幸せかどうかYes/No)みたいなものは低い結果になるなど、日本のいい部分をちゃんと確認できる反面、ある程度低く出てしまう理由もちゃんと見極められる部分もありますし、よく見てみればいろいろな意味を見出せる統計です。
それらの内容を含む結果として、世界での順位を比較するだけで結論することは疑問であるとも思っています。


・日本(政府)が何をしていくべきか?何が足りてないか

政府の施策として、国民を幸福にできない愚かな(自分勝手な)政治家がはびこっているせいなどの意見もあるものの、日本の政治は世界で比較してそこまで悪いものかのか。悪いとしたらどこを直せばいいか

政府の活動として、日本では主に不幸を減らす施策は充実しているに違いない。しかし、幸福を見つけるのは当人まかせで、幸せへの道があまり提供されていないのではないでしょうか。
場合によっては、幸福への道まで面倒を見てくれる国、自治体もあるかもしれません。途上国で幸せという意見が多い国では、「子供が多ければ幸せ」という認識から貧乏でも子供の多い家庭が多く、それでいて、貧乏子だくさんな環境が国で蔓延していて、国内の富にたいする国民一人当たりの割り当てが伸びないというか、子供への投資が定着しにくいというか、世界での比較でいうと幸福に向かって改善していくことが、難しい状況にあるというか・・・そしてその改善できない理由が「貧乏子だくさん、多くの子供を全員は救えないのは当たり前、でも国民は現状に満足」な状況にあるみたいな。

幸せに暮らしている人の前にいって、「お前の幸せはニセモノだ。国や社会に騙されている。俺がお前らに幸せを教えてやる」なんていうのは、それこそおせっかいな話ですし、果たして現代の日本人式の(または西欧式の)幸福がすべての人にとって本当の幸せといえるものなのかなんてわかりません。

突き詰めて考えて、幸せを感じるというものの中には、ある種のまやかしもあるでしょう。宗教のなかで、仏教式に「因果応報」な考えというものは前世の因果なども関連し、「今お前が貧乏なのは前世でろくな人間じゃなかったからだろう」となっていたり、キリスト教においても天命という概念があるようで「お前にとってどんなにつまらない、つらいだけの仕事であっても、それは神がお前のために用意してくださった仕事なのだから誠心誠意はげみなさい」みたいなものになるようです。

そういった背景を意識にいれて、日本政府が国民に対し、幸せのガイドラインを作ることは適切であろうかと考えれば、それは難しいと言わざるをえないでしょう。

誇りある日本、日本の豊かさを次世代につなげるなどの形で勤労を推奨しても(仮にではなく推奨している部分もあるし、必要なことだけど)、それこそが幸せだと洗脳するまでになってしまえば結局今の国民は国(の上層部?)のために搾取されていると考えられなくもない。

結局、幸せは自分で見つけなければいけないのでしょう。あまりにも当たり前すぎることなのですが。
国が、あるいは親や教師が幸せを示してあげるためには、その、「自分の幸せを見つけるための時間」について、適切に機会と期間を用意してあげることなのかもしれません。私はあまり考えてこなかったかな?と。
努力の先にある幸福を手に入れろという形では未来を示してはいるのですが、自由な選択だとか、労働(出世?)以外での幸福の手に入れ方だとか、人生のゴールは幸福であり、それを探すのが人生なんだよと、ある種の哲学な話でもいいし、職業について考えるなりの機会を。

今でもあるにはあったわけなのだけど、自由な選択というものは全く認められない雰囲気があったと思います。教これは師側ではなく、生徒側に原因があったのが大きいんだけど。うーん、やっぱり国民性によって抑制されているのかなあ・・・

学校だけに頼ってもいけないんですけどね、やはり子供時代の影響というものは学校、友人もありますが、家族の影響は大きい。中学時代の同級生で、爺さん世代の影響が強い家の子で、「俺は農家になって家をつぐ。だから高校も農業高校以外考えてない」という人もいました。『もやしもん』や『のうりん』を見ると、農大などの選択もありだったとも思いますし、子供の意思というものはどうなってるんだろうなあ・・・と思い返すこともあります。

将来について考えるチャンス、時間、大人になってからのやり直しの可能性・・・

考えてみると、幸福の追求のためには新卒以外では就職が難しく、就職するかしないかで収入、あるいは人生の方向性が全く違ってくる(そしてほとんどの意味で就職しておいたほうがいいという結論にいたる点)など、就職関連での問題が中心にあるような気もします。いや、そもそもこうやって”就職”が考えの中心になってしまう現状ですか

就職を自由に、中途採用にも可能性を、また労働時間が長く、一切の融通の利かない現状の労働状況を変えて休みの確保できる労働環境の実現を目指すこと・・・労働による幸福の実現、労働以外の行動での幸福の享受・・・
自分で選ぶ、自分で見つけるにしても、まあもう少し実現しやすくするため、国の後押しも欲しいところかな?