2009年7月24日金曜日

皆既日食観測ツアーと法的な問題

私も見に行きたかったですが。
どうやら国内ではあまりよく見られなかったようで、どっちにせよ見られなかっただろうということで諦めときます。

皆既日食の最中、太陽が欠けていく映像をupしてくれる人はいるものの、周囲が暗くなっていく様子を取ってる映像って無いものでしょうか。そっちなら望遠鏡に接続できるようなやつじゃない、普通のビデオカメラでも撮影可能なはずなんですが。


ところで、日本でもっとも長く見れるとされた悪石島では皆既日食の前後暴風雨で、観測はできなかったとのこと。
それについて、「旅行会社に返金を要求できないか?」という投書がありました。

一人30~40万円とも言われるツアーで合計200万円オーバーの出費に対し、ネット上ではメシが美味いことこの上ない様子でした。
(……ところで、この、「人の不幸でメシが美味い」というネタは、最近流行ってるとか聞いたことはあったものの、実際に使用している場面は、私は初めて見た気がします。 )

話を元に戻すと、ツアーの同意書とかに「当日の天気によっては観測が行えない可能性があります」としっかり明記されているわけですし、そんなん無理だろーって感じですが、やはり1人30万は大きい。 投書した人も、無理だとは思う中で、ちょっと額があきらめきれないものだったからというのもあるでしょう。
どうにかならないものか?と、法律にある程度詳しい知人にメールで聞いてみた。

返事は、「裁判にもならずに棄却されるだろう」とのことでした。
契約上で書かれている通り、「天気によって……」にダイレクトヒットですし。
この投書に対する反応に、スカイダイビングやらスキューバダイビングで、「怪我等の保障はできない」と書かれていても、客が死亡した際に遺族へ賠償金の支払い命令が出た事例があるとの指摘もありました。

スカイダイビングについては、問題があったのかはわからないものの……つまり、会社側、インストラクター側に非がなかった可能性もあるものの、賠償金の支払い命令が出ているようです。
スキューバダイビングでは、水中で客がパニックを起こし、客に記憶等の障がいが残ったことに対し、インストラクター側に過失があったとして賠償命令が出た例があるらしいです。詳しい事情はわかりませんが。

これらについて、知人によれば、このようなレジャー業務においては、インストラクターや、それを雇う会社側資格やら免許やらを色々取得する手続きが存在し、それらを取得している上で(しっかり勉強、訓練した上で)商売が許可されているので、どうしても会社、インストラクター側の責任が問われやすいという側面がある様子。

これらの事例とは色々異なりますから、かなり無理があるということになる様子です。
知人からのメールでは、今回のようなケースを回避する方法として、「事前に特約を結んでおく」とかが書かれていました。
つまり、事前に「悪天候の際は」という条件下で返金してもらえるよう交渉しておくか、別の旅行プランへの変更を約束してもらっておく必要があったということらしいです。
……しかし、旅行会社としても、「天気を理由に返金はできません」と明記している以上、それに同意できない場合、単純に「契約不成立」になるのみでしょう。
旅行プランに、「保険」として何万円か上乗せしておくことで、悪天候時のプラン変更を納得させることが……無理っぽいですかね。まず島を出る必要がありますし。


返金を求めるにしても、どの程度利益が出ているんでしょう。飛行機の料金やら食料の調達などに使用してしまった分は当然返せないでしょう。インフラが不足しているということで食料を持ち込んだりする必要があったらしいですが、水道やら道路、街灯なんかへの投資も含んでいるなら、参加人数によって損益が分岐したりする、旅行会社としても利益が読めないツアーな気もします。
しかし、利益が出ているのなら、ちょっとだけキャッシュバックができる可能性があります。痛みわけにしたほうが、イメージはいいですよね。
不正規に島に行った人は山狩りしてまで追い出したらしいですが、まあ、あの暴風雨の様子だと、行方不明者とか出てたかもしれません。本当に何が起こるか分からないってとこで、事前退去でよかったのかな?

……と、沖縄本島への3泊4日の旅行(羽田発)を見てみると、普通に一人3,40万とかになりますね。以外に高い。場合によっては100万とか。海水浴場などレジャー施設が充実した場所でホテルに泊まるのと、風呂もない場所でテントで野宿するのとではぜんぜん違うかもしれませんが、3泊4日の国内への旅行としては、結構妥当な額だったのかもしれません。

……いや、一桁違う。3泊4日3,4万円だ。


インフラ関連で問題になった例として、富士スピードウェイの仮設トイレ不足の件もありましたが……
あちらは、まだ裁判の途中なのでしょうか。

天空のアルカミレス&エンディミオン

天気

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。


http://uraaozora.jpn.org/ponishiwaki1.html
西脇順三郎


三上延の「天空のアルカミレス」というラノベで引用されていました。
作者は「なんとなく」引用したといってるものの、最近になって、何か意味があったのでは?と思って調べたりしました。
この詩は、いきなり()で始まっているところも印象的であると紹介されることが多いようですが、
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/19hosea.pdf
これによると、いきなり()で始まる書き方をしているのは、この人がもともと英語でこの詩を書いた可能性があるようです。

Weather

On a morning(like an upturn'd gem)
Someone whispers to somebody in the doorway.
This is the day a god is born.


結構納得がいきました。閉じかっこの位置は、「(覆された宝石のやうな)朝」のように、"~ような"の後になりそうな気もしますが。

図書館にて、この詩がはじめて収録された、『Ambarvalia』という詩集を探してみましたが、確かに、英語で書いた詩が出てきたりします。
英語と日本語で詩が書いてあり、それもどうやら一度英語で書き上げた詩を日本語に書き直しているような印象がありました。言い回し的に。

ついでに、(覆された宝石)の部分の引用元である、ジョン・キーツの「エンディミオン」という詩も読んでみました。
英語でならネットで手に入りますが、これを全部読むのは困難です。
そこで、これが載っている本を図書館で借りて読んでみました。
2回読んでみて、ようやく分かりかけたかな?といった感じです。

200ページもある詩なので、もう読みたくありません。 叙事詩かと思って読み始めましたが、200ページ続く抒情詩でした。ストーリーはあまりなく、全編に渡って世界の美しさを褒め称えている感じです。

なんとなく理解した範囲では、以下のようになっていました。


主人公のエンディミオンは寝ていることの多い青年で、彼には仲の良い(というか、ブラコンの)妹がいます。
妹は、久しぶりに起き出した兄の世話をしながら、「何故あなたは眠り続けるの?」とたずねます
兄は「それは、夢の中の世界のほうがすばらしいからさ」と答え、自分がいかにすばらしい世界を見てきたか妹に話して聞かせます
妹は泣きながら「現実を見て!」と兄を説得しようとしますが、「いいから聞きなさい、妹よ!」とさらに妄想を加速させていきます。

その後、夢の世界にも匹敵することに現実に出会ったという話をします。その話をする際にも、
「あれは現実だったのか、本当は夢だったんじゃないのか」
という断りを入れ、実際、話(すばらしい体験)への導入部分がどうも昼寝してるところとか「まどろむような心地の中」とかどうも夢っぽい。

しかし、彼は最終的に、"すばらしい体験"の中で出会った美女を連れて妹の前に現れ、妹の目の前で兄とその美女は消えていきます。
兄は、いつでもこの森に会いに来なさい」と言い残して去ったのですが、妹のほうも別に兄を心配するでもなく、驚くでもなく、ただ森を去っていきます。



…多分、こういう話でした。
分類上は抒情詩というよりも物語詩というらしい?物語そっちのけで風景を描写し続けたり、神を賛美したり、主人公が突然愛を叫びだしたりするので、物語としての展開が全く分からなかったです。

「覆された宝石」のシーンあたりは、比較的物語らしくなっていました。
スキュラの項目に、エンディミオンの記述が少しだけあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A9
「グラウコスは、同じように溺死したかつての恋人たちの遺体を集めて千年を過ごしていれば、誰かが自分を救ってくれるかも知れないと考えた。そして千年後、アルテミス(もしくはセレネ)の加護を受けた眠れる若者、エンデュミオンがグラウコスに若き姿に再び与え、スキュラたち、溺死した人々を生き返らせてくれるのだという。」

という伝説をモデルにしたシーンのようです。詩の中では、「覆された宝石のような一瞬の輝き」とともに、グラウコスの若々しい肉体がよみがえりました。グラウコスを指して"新たに生まれた神"と表現している場面もありました。

英語では、
http://www.bartleby.com/126/34.html
>Out-sparkling sudden like an upturn’d gem
あたりでしょうか。

ダン・シモンズのハイペリオン4部作(文庫本で8冊)というSF小説がありますが、このジョン・キーツの詩「ハイペリオン」、「エンディミオン」をモチーフにして作ったものであるらしく、終盤ではジョン・キーツのクローンなども出てくるようです。
評判は結構いいらしいです。とは言っても、厚めの文庫本1冊分を前フリにつかっている感じらしいため、そこはなんとか堪えて読まなければならず、また、後半3,4冊は蛇足だという意見もあります。3,4冊っていうと、ハイペリオンが終わってエンディミオンに入ったあたりから全部ですか?


ちなみに、「涼宮ハルヒの憂鬱」にてこの本を長門有希が読んでいるシーンがあります。主人公に「公園に来るように」と書いたメモを挟んで渡した本というのはこのハイペリオンであるらしいとも言われています(キョンがあらすじを説明していた)。
このあたりは文中の描写から推測するしかない部分で、一種ファンの間での噂という側面もあるんですが、京都アニメーションが作ったアニメでも、このシーンで出てくる本の表紙は確かにハイペリオンっぽかったです。
アニメ作るときとか、こういう細かい部分は無視されてしまうことは結構多く、ファンの失望の声が聞こえてくることは結構多いものですが……さすが京アニ。

数年前に買って放置していたものの、再び読んでみようかな、と思い始めました。今読んでいるシーンは、ある登場人物の過去の回想です。

軍人である彼は、バーチャルリアリティを利用した戦闘シミュレーションの訓練を受けていました。
これは、歴史上の戦争を追体験する軍事訓練であると同時に、戦争の歴史の勉強にもなるという形で、中世の剣での戦争から火星で光線銃を用いての"近代的"な戦争まで様々な時代の戦争を経験しました。
これは、もし戦闘中に"太字死亡"したりしたら、体験している自分自身もどうなるかわからないという、まあ、よくある感じの設定なのですが、あるとき、彼は他の誰も見たことも聞いたこともないようなバグに遭遇します。

……で、何故かこの戦闘中に美しい女性に出会い、バーチャルリアリティにおいて本番をおっぱじめます。そんな機能まで付いてるとは…。戦闘シミュレーションには必要ないでしょう。

その後彼は、コンピュータ理論、戦争の歴史など、このシミュレーションに関わる学問についてより熱心に学ぶようになり、本文中では
「…つまり、彼はより勤勉な訓練兵となっていったのだ」
と説明されており、彼はその後、銀河にその名をとどろかす名将になる…らしいです。
しかし実際のところ、バーチャル空間に入ったとたん訓練そっちのけで例の女性を探し始めてるんですが。
時には味方兵、時には街の娘として彼女と出会い、そのたびにやりまくります。短い時間で彼女は消えてしまい、行為には応じるものの、言葉でのコミュニケーションは中々とれません。それでも少しずつ言葉を交わし、彼女は同時にログインしているほかの訓練生ではなく、AIの一種であるらしいことがわかってきました。そしてその後判明したその正体は…というか、もはや高性能な戦闘シミュレーターただのエロゲーと化しています。なにやってんだ、お前。

2009年7月19日日曜日

ダークバイオレッツ

三上延の『ダークバイオレッツ』再読。これだけは中古でしか手に入らなかった。

読んでて気づいたこと。というより、前に読んだときも気になったけど、今回読んでまた気になったこと。

ダークバイオレッツ3巻
ときどき、挿絵を入れ間違えたり(パラサイトムーン)、あまりにも文章と絵が乖離しすぎていて次の巻(と、次の版でも?)修正が入ったり(シーキューブ)することがありますが、この巻の柊美 千紗のイラスト(P97)と菜月が立っているイラスト(P105)は逆ではないかと思った。
明が公園で女の子の幽霊を見かける場面に、「柊美、千紗がそれぞれ紫の銃、音叉を持っている場面」のイラストがあって、その後の、柊美、千紗が石の虫と戦っている場面で柊美が紫の銃を、千紗が紫の音叉を出した場面では、「公園で一人立っている女の子」のイラストがあります。

中古で初版でした。2版が出ているかどうかはわかりません。


5巻(短編集)の、『闇の館』について。

親戚が持っている、古い いわくありげな家に越してきたところ、そこで死んだ遠い親戚の女の子、「古井薫子」は、妹(楓)と同年代で、顔なども良く似ていたりする……というバックグラウンドで始まる話。

最終的に、事件を解決後、病院のベッドで眠っている妹を見ながら、「ひょっとして、妹と幽霊をとりちがえたりしてないよね?」という不安に駆られ、その答えが得られぬまま話が完結してしまいます。

妹の持っていたスケッチブックには、クレヨンであたらしく、「ふるいかおるこ」と書いてあります。

妹(古井楓)の幼稚園では「なかのいい友達同士、持ち物をとりかえっこする」遊びが流行っていたりして、今持っているスケッチブックも、仲のいい女の子ととりかえっこしたものだったりしたのですが、今回は幼稚園の制服(スモック)と、幽霊(正確には、常世の怪物)の着ていた着物を「とりかえっこ」してしまっていた可能性に思い当たり、連れ出してきたほうの幼稚園の制服を着た女の子は、幽霊のほうだったのでは?と不安にとらわれます。

ただ、話の流れ上、妹がとりかえっこしたものは、お互いの「名前」であると考えたほうがしっくりくる気がします。
楓と薫子では、「ふるい か」まで同じであり、それ以降は主人公には読めないほど汚い字であるものの、「か」の後に3文字あるように思え、「か」の次は「お」に読める……といったホラーな語り口で、スケッチブックの持ち主についての疑惑が膨らんでいきますが……

幼稚園児の妹は、自分の名前はそれなりに書けても、今まであまり書いたことの無かった「(か)おるこ」という部分はどうしても汚くなってしまったのでしょう。また、服をとりかえただけでなく、スケッチブックまで交換したのなら、それ相応のアイテムを「薫子」が持って登場していなければなりません。……鞠とかお手玉とか?

『ぜるまん様』同様、無害な存在だったのかもしれません。あのまま遊ばせたら、妹も一緒に焼け死んでいたところですが。

焼け落ちる屋敷に閉じ込めた際、向こうから扉をたたき続けていたのは……なんででしょうね。
また、明良はちゃんと見分けられなかったのか。
柊美さんもちょっと危険な状態だったし、それほど余裕は無かったのかもしれません。
また、「人に見えない幽霊」を見るならともかく、「常世の怪物」のほうは簡単に見分けられない様子でもあったので、仕方ないのかもしれません。
「常世の化け物」になると普通の人にも見えるようになってしまい、「常世の霧が体からもれている」場面を見ないと見分けがつけられない様子でしたから。

しかし、「常世の怪物」であったなら、それは放っておくわけにもいかない訳ですから、この話の末尾に「明良たちが改めて古井薫子の「常世の怪物」を退治した」という部分がない以上、ちゃんと妹のほうが生還していたという結末でいいんだと思います。いいよね?

2009年7月12日日曜日

「名場面」元ネタ考察

>252氏は、「名台詞スレで、元ネタがわからない書き込みにむかついてやった」みたいなことを理由として挙げていました。

この手の、「名台詞、名場面紹介」では場面紹介と一緒に、「必ず作品名、作家名を書いておくこと。メール欄とかに」という但し書きがあるんですが、ライトノベル関連のスレッドでも、無視する人、もしくは気にしないでネタ元を明示せず書き込んでしまう場合は結構あります。
しかも、既出であることを確認もしなかったりする場合さえあります。

……このような行動は、特に秋山瑞人ファンにも多かったりしました。
ところかまわず「秋山の文章は本物の文学」、「イリヤの空、UFOの夏はイラストで敬遠するな!」みたいなことを言って空気を読まなかったことなどで、一躍有名な厨房集団と認知されました。そして、そんな厨房を指して「瑞っ子」という言葉も生まれました。そんなわけで、ライトノベル板の「名台詞スレ」なんかでも、作品名、作者名無記入、重複確認無しの書き込みで「これだから瑞っ子は」とか言われていたりします。

最近では、秋山瑞人の刊行ペースが落ちていることも関係してか、それほど酷い活動は見られなくなっていると思います。

ちなみに、現在では「瑞っ子」という言葉も、少なくとも2chの秋山瑞人総合スレでは普通に「秋山瑞人ファン」のことを指す言葉として使われています。

瑞っ子=ファン
端っ子(はしっこ)=狂信的なファン、迷惑なファンを指す言葉。もしくは自虐的に「かく言う私も端っ子でね!」

という感じに使われています。


この手の「出典無しの書き込み」に苛立ちを感じる気持ちもわかります。そこで、ちょいといたずらをしてやろうって気持ちになったのでしょう。

ここで、1日以上待って盛り上がってきて以降に、「>252だけど、あれ嘘だぜ」と書き込みがあったとしても、IDが変わってしまって以降は信じられなかったでしょう。結局、元ネタ探索は続いていたはず。
一応元ネタらしき作品が見つかり、ある程度熱が冷めてきたところだからこそ、受け入れられたのだと思います。


仮に阿片通信さんが目立つ場所に似たセリフを置いておらず、>252氏も本当に墓まで持っていくつもりで黙っていたら、このネタはどこまで広まっていたのでしょう?

本当に>252氏は阿片通信さんのサイトを全く知らず、完全オリジナルであった場合、あのセリフは「元ネタ不明、だけどどっかにあったよね?」という状態のまま、延々と探索が続けられていたはずです。


「伊集院光 日曜日の秘密基地」の「秘密キッチの穴」とかに送られてたでしょうか?
元ネタ不明のままのほうが、場合によっては電車男レベルで取り上げられるまでになったかもしれません。


……しかし、真相はどうなってるんでしょう?阿片通信さんのゲームのセリフと、>252氏の書き込みは、細部は異なるものの、セリフを構成している情報はかなり似ています。ただの偶然とは思えません。


阿片通信さんの同人作品に含まれていた部分は、まず嘘ではありますまい。
>言いたいことを言うスレの>110(名台詞スレ252)の懺悔も、とりあえず本当であると考えます。
>252氏は同人ゲームをプレーしたことがないとのことですが、エロゲ関連板のエロゲ中の名台詞スレを覗いていたようなので、エロゲーはいくつかは持っているものであると考えられます。

阿片通信さんはLeafのSSを書いたりしているサイトだったりして、そこのトップには例の台詞がずっと提示されている状態だったと思われます(よくわかりませんが)。

……と、すると、

>252氏が、Leaf関連のファンサイト、ファンのSS等を探している過程で、阿片通信TOPのセリフを眺める。

「なんとなく」のレベルで記憶される。

「名台詞スレにて、「なんとなく、いいセリフっぽくて、元ネタがない(存在しない・・・というか元となった作品名が思い当たらない)やつを書きこんでみよう」と思い立つ。」


とか、やはり>252氏はどこかで阿片通信TOPページを見ていたんじゃないでしょうか。……まあ、なんのひねりもない推測ですが。

名台詞スレにつりとして書き込む場合、有名作品を詳細を伏せて投稿してみても、有名であるがゆえに、「これ何?」→「それはカノンだよね」とかすぐレスがついてしまったり、誰かが疑問を持つ前に「これやったよー。家族計画だね!」とか元ネタ紹介されてしまってつりにならない。
なるべく多くの人を釣り上げるためには、「元ネタが存在しない」かつ「興味をひく」セリフが望ましい。泣けるシナリオを1本仕上げるのに近いくらい難しいことでしょう。

そして、結局>252氏の予想以上に盛り上がりを見せてしまったのですが……

わたしも、このセリフについて、「見たことあるかもしれない……エヴァっぽい心象風景(?)の中で綾波的無口キャラが言ってたりしそう」とか思ったものです。

ちなみに、私はKeyのゲームはやっていてもLeafのゲームはやったことがありません。
今でなら、「うたわれるもの」のアニメは見たなあ…ってところです。あと微妙にマルチを記憶していたり、ファミ通でキッシー嵐山氏のToHeartの推薦文を読んだことがあったり、Leaf,Key仮想戦記、KanonRPGに登場するLeafの鬼強い姐さんがLeafの人?とか思ったりするくらい。

また、もえたんにて、「恋はいつだって唐突だ」というセリフが出てきたときも、
「見たことあるかも。少女漫画かなんかで」とか思いました。

・・・といっても、私も基本的に少女漫画というのは読まないので、ドラマかアニメになったりするようなメジャー作品だと思う……とかも思っていましたが、結局は「Kanonにて、沢渡真琴が好きだった少女漫画の冒頭のセリフ」でした。 (登場する情報は、この冒頭のセリフと、あとクライマックスのセリフがいくつか……という程度。京アニ版アニメでは、ちょっとだけ漫画の中身の絵も見られました)

もえたんの「元ネタ探索」を行っていたサイトでも、いくつか「少女漫画関連で聞いたことあるような」というコメントを見かけました。そしてどこかのサイトでは、ちゃんと「Kanonが元ネタ」と書いてあって、同時に「このセリフだけが一人歩きしている印象もあり」と書かれていました。


数学にて、「微分、積分を発見したのはニュートンであるかライプニッツであるか?」という問題(?)があり、当人同士でも議論になったらしいです。
ニュートンは、結構性格がアレな人だったらしいので、相手に、強く「パクッただろ!」とか批判したのかもしれません。

結局、微分、積分はニュートン、ライプニッツがそれぞれ独自に開発したものであると考えられていますが、この2人の発想の元になったのは、フェルマー(法律家)あたりの「微分についての走り書き」みたいなものであると考えられているそうです。
フェルマーは、それほど「どんな関数についてでも使えるように」とか体系化した理論を残しているわけけではなく、微分を用いて「傾きゼロの点」とかを求めるための計算をするための{f(x+Δx)-f(x)}/{ (x+Δx)-x}みたいな式と、傾きゼロの点で接線を引いたような図を残していた様子です。

これを引き金として、「どんな関数でも(sin,cos,tan,exp)、微分でxy平面上の傾きがわかる」、さらに、「逆の発想で計算をすれば、平面上の面積がわかる(理論を、積分法へと拡張した)」とかが2人の数学者によって同時期に行われたらしいです。アインシュタインの特殊相対性理論も、同じ時期に結構同じ考え持ってた人はいたらしいです。

(なお、古代エジプトでも、「積分法的な方法を用いて」円の面積だか球の体積だかが求められていた記録が残ってたりするそうです。日本でも、関孝和が独自に積分やってたらしい。)


「完全にオリジナルな発想」というのは、作家としても自身を持って宣言できるものではないらしいとも聞きます。

そんなわけで、阿片通信さんと>252氏が、それぞれ独自に思いついた(252氏は阿片通信を見たことがなかったが、似た展開を自分で作った)のかもしれないし、>252氏が阿片通信さんのTOPをわずかに記憶していた可能性もあるし、2人とも、かつて何らかの元ネタとなる作品を見たことがあったりしたのかもしれません。


私としては、>252氏がLeafの作品をプレーしていて、Leaf関連のスレを何度か覗いたことがあったり、ファンサイトをめぐってみたことがあったりするなら、どこかからのリンクなどから阿片通信にたどり着き、そこのTOPページにも行っているのではないかと思います。

謎の「名場面」

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2009年7月11日土曜日

聖なるかな カティマの謎

カティマの設定に、「王は代々永遠神剣『心神』の使い手」みたいなものがあります。

『聖なるかな』では、前作『永遠のアセリア』と比較して、微妙に設定が変わってきている……というか、ここは「主人公らが認識している神剣使いの条件」みたいなものになるのですが、「神の転生体しか神剣を使えない」ということになるようです。つまり、パーティーメンバーは、「全員、前世は神だった」ということになっていきますが……

そうすると、カティマの家系については、先代の王(父?)とカティマは同一人物(神)の転生前後の人格なのか?カティマは前世オッサンだったのか?みたいな議論が生じていた様子です。


永遠神剣シリーズ@wiki 心神
http://www38.atwiki.jp/eternity_sword/pages/39.html#id_8501d09d

私としては、「儀礼用の剣で、実際使いこなせるのは稀に転生体が王になったときだけ」
とかじゃないかと勝手に解釈していました。
詳しくは忘れましたが、鉾(ミニオン)が現れたのもつい最近の時代のはずでしたし、人間相手であるなら、永遠神剣は使わなくても戦えるだろうと。


小説版には一応の答えが書いてあるということなので、読んでみました。ネットで探してみてもそのへんのネタばらしをしているページが見つからなかったので。


で、それを私がネタばらししていいものか?とも少し思いましたが、この小説も特に「ゲームでは謎だったカティマの秘密が明らかに!」みたいな原作補完的な部分が売りなわけでもないはずなので、この「謎」の部分だけ書いておきます。実際のところ、これが原作側と話し合って決めた(確認した)公式設定なのかどうかもよくわかりませんし。

以下、反転させて記述(ドラッグすると表示されます)
↓↓↓↓↓
「剣の世界」では、"心神"を扱うための力が恒常的に存在できるように…つまり、転生体以外でも心神を扱えるように研究が行われていた。
研究の結果、神剣を扱うために必要なのは、転生する神の意思(ウィル)だった。
転生体の意思(ウィル)の一部を、『プロジア文書』として保存した。
これにより、転生体以外でも、プロジア文書を継承することにより、心神を扱うことができるようになった。
……ということのようです。


また、前世オッサン疑惑について……
カティマの前の代では、神剣(王家)の正式な後継者はカティマの母であったらしく、カティマは母親にそっくりらしいです(さらに1代前は男(祖父))。上の設定がある以上、オッサン疑惑とかもう関係ないわけで余談になるものの、やはりこの母親もまた神の転生体ではなかったのだそうです。

んで、これについて、荒探しとも呼べないレベルの、ささいな疑問をいくつか。
↓↓↓↓↓(以下、再び反転)
・疑問1
歴代王家の中には、ときどき生まれつき心神を扱えるものもいたという記録があるらしい。

これはつまり、カティマ同様に神の転生体そのものが、何度も王家の血筋に生まれてきたということでしょう。するとやはり、転生体はかならず王家の子として生まれてきていたのでしょうか?
逆に必ず王族に転生体が生まれてくるわけではないとしたら、同じ世界のどこかの時代で、転生体と、王家のプロジア文書を受け継いだ神剣使いが2人存在してしまうような事態にはならなかったんでしょうか?

……まあ、この疑問については、小説中で齟齬が生じたというものでもありません。もともと疑問に思うべき部分のひとつだったでしょう。
この疑問については、「血筋、もしくはプロジア文書と神の魂が引き合っている(意訳:そういうモンだから)」とかの設定が存在すれば、なんら問題はないと言えましょう。

・疑問2
また、プロジア文書を受け継いだ人物なら誰でも心神を扱えるわけではなく、「血統上、心剣を使う適性の高い血筋が存在するようで、その血筋に代々プロジア文書を伝えることにした」という設定もあるらしいです。

そういうわけで、転生体でなくても、王家の血筋の人間ならば神剣を使うことができるが、それ以外の人間がプロジア文書を受け継いでも神剣は(100%かはともかく、ほとんどの場合) 使えないもののようです。

しかしこれは、神話の時代に神であったアルニーネとアイギアス王家は血のつながりはないということなのでしょうか。
もともとのアルニーネ(北天神)の子孫ではなく、今のアイギアス王家はただ、「心神を使うのに適した血筋である」ということから王家となったのでしょうか。そして、この習慣が出来てから後に、この血筋に何度もアルニーネの転生体が生まれるようになったということなのだろうか……


いや、考えてみれば、望やほかのキャラクターも、神の時代とそこまで深い血筋のようなつながりは無いんでした。だから、神と王家の間につながりがある必要はないんですが
それでもって、神剣を使うことができる存在は、やはり王やら将軍やらに出世しやすかったりもしたでしょう。

……結局、これらの疑問も、それほどたいした問題でもなさそうですね。

永遠神剣シリーズの三章は出るんでしょうか。
今作は少々規模が大きくなりすぎた感があります。また、ファンディスクやその他のシリーズで出てくる設定を追いきれません。(上の永遠神剣シリーズwikiを見てビビった)

3作目があったとしたら、シリーズに毎回登場する聖ヨト語……というか異世界語?はまた登場するのでしょうか。

今度は……『歌』かな?
川村ゆみさんに、異世界語で歌ってもらう方向で。