2019年3月28日木曜日

日本人の幸福度が低い理由

世界幸福度ランキング 2019

こういうものが発表されるたび、日本は物質的に豊かであっても国民の生活は途上国レベルの苦しみに満ちているだの日本バッシングにつながる意見がみられます。

反論として、日本人は「俺は幸せだ!サイコーの人生だよ!!毎日がハッピー!!!」などと自己表現しないからとか、幸福を測る指標が日本人の価値観にあってないなどの批評も出てきます。

今年のものを詳細に見たわけではないものの、客観的な指標(インフラの整備、犯罪率など)は優秀なものの、主観的なアンケート結果(幸せかどうかYes/No)みたいなものは低い結果になるなど、日本のいい部分をちゃんと確認できる反面、ある程度低く出てしまう理由もちゃんと見極められる部分もありますし、よく見てみればいろいろな意味を見出せる統計です。
それらの内容を含む結果として、世界での順位を比較するだけで結論することは疑問であるとも思っています。


・日本(政府)が何をしていくべきか?何が足りてないか

政府の施策として、国民を幸福にできない愚かな(自分勝手な)政治家がはびこっているせいなどの意見もあるものの、日本の政治は世界で比較してそこまで悪いものかのか。悪いとしたらどこを直せばいいか

政府の活動として、日本では主に不幸を減らす施策は充実しているに違いない。しかし、幸福を見つけるのは当人まかせで、幸せへの道があまり提供されていないのではないでしょうか。
場合によっては、幸福への道まで面倒を見てくれる国、自治体もあるかもしれません。途上国で幸せという意見が多い国では、「子供が多ければ幸せ」という認識から貧乏でも子供の多い家庭が多く、それでいて、貧乏子だくさんな環境が国で蔓延していて、国内の富にたいする国民一人当たりの割り当てが伸びないというか、子供への投資が定着しにくいというか、世界での比較でいうと幸福に向かって改善していくことが、難しい状況にあるというか・・・そしてその改善できない理由が「貧乏子だくさん、多くの子供を全員は救えないのは当たり前、でも国民は現状に満足」な状況にあるみたいな。

幸せに暮らしている人の前にいって、「お前の幸せはニセモノだ。国や社会に騙されている。俺がお前らに幸せを教えてやる」なんていうのは、それこそおせっかいな話ですし、果たして現代の日本人式の(または西欧式の)幸福がすべての人にとって本当の幸せといえるものなのかなんてわかりません。

突き詰めて考えて、幸せを感じるというものの中には、ある種のまやかしもあるでしょう。宗教のなかで、仏教式に「因果応報」な考えというものは前世の因果なども関連し、「今お前が貧乏なのは前世でろくな人間じゃなかったからだろう」となっていたり、キリスト教においても天命という概念があるようで「お前にとってどんなにつまらない、つらいだけの仕事であっても、それは神がお前のために用意してくださった仕事なのだから誠心誠意はげみなさい」みたいなものになるようです。

そういった背景を意識にいれて、日本政府が国民に対し、幸せのガイドラインを作ることは適切であろうかと考えれば、それは難しいと言わざるをえないでしょう。

誇りある日本、日本の豊かさを次世代につなげるなどの形で勤労を推奨しても(仮にではなく推奨している部分もあるし、必要なことだけど)、それこそが幸せだと洗脳するまでになってしまえば結局今の国民は国(の上層部?)のために搾取されていると考えられなくもない。

結局、幸せは自分で見つけなければいけないのでしょう。あまりにも当たり前すぎることなのですが。
国が、あるいは親や教師が幸せを示してあげるためには、その、「自分の幸せを見つけるための時間」について、適切に機会と期間を用意してあげることなのかもしれません。私はあまり考えてこなかったかな?と。
努力の先にある幸福を手に入れろという形では未来を示してはいるのですが、自由な選択だとか、労働(出世?)以外での幸福の手に入れ方だとか、人生のゴールは幸福であり、それを探すのが人生なんだよと、ある種の哲学な話でもいいし、職業について考えるなりの機会を。

今でもあるにはあったわけなのだけど、自由な選択というものは全く認められない雰囲気があったと思います。教これは師側ではなく、生徒側に原因があったのが大きいんだけど。うーん、やっぱり国民性によって抑制されているのかなあ・・・

学校だけに頼ってもいけないんですけどね、やはり子供時代の影響というものは学校、友人もありますが、家族の影響は大きい。中学時代の同級生で、爺さん世代の影響が強い家の子で、「俺は農家になって家をつぐ。だから高校も農業高校以外考えてない」という人もいました。『もやしもん』や『のうりん』を見ると、農大などの選択もありだったとも思いますし、子供の意思というものはどうなってるんだろうなあ・・・と思い返すこともあります。

将来について考えるチャンス、時間、大人になってからのやり直しの可能性・・・

考えてみると、幸福の追求のためには新卒以外では就職が難しく、就職するかしないかで収入、あるいは人生の方向性が全く違ってくる(そしてほとんどの意味で就職しておいたほうがいいという結論にいたる点)など、就職関連での問題が中心にあるような気もします。いや、そもそもこうやって”就職”が考えの中心になってしまう現状ですか

就職を自由に、中途採用にも可能性を、また労働時間が長く、一切の融通の利かない現状の労働状況を変えて休みの確保できる労働環境の実現を目指すこと・・・労働による幸福の実現、労働以外の行動での幸福の享受・・・
自分で選ぶ、自分で見つけるにしても、まあもう少し実現しやすくするため、国の後押しも欲しいところかな?