2017年3月8日水曜日

二郎仙台店プチ炎上とな?

二郎仙台店の公式ツイッターのつぶやきで物議をかもしている模様。

主にクソ野郎3連コンボと「二度と来ないでくださいね」と、それをツイッターでつぶやいたことでしょうか。


私は住んでいる地域の関係上一番いく二郎は仙台店なので、そのときの様子が少し思い浮かびます。

 二郎で食べ終わった後は、どんぶりをカウンターの上から返すわけですが、そのときにたいてい「こちそうさま」と声をかけます。何も言わなくても、もちろん問題ありませんが。
すると店主、店員さんらが「ありがとうございました」 と声を返してくれるのです。


たまに、「ありがとうございました。よろしかったらまたどうぞ」という声が聞こえることがあります。


完食できなかった場合には、世間の尾ひれ背びれのついた噂やらギルティやらあるので、客の側からも「すいません、残してもいいでしょうか」とか、「もうこれ以上食べられないんですが……」といった声が聞こえることもあります。

食事を残したとはいえ、それが量的に食べられなかったのか、味が気に入らなかったのかはわからないので、上のように一言追加しているのでしょう。少し悪目立ちする感もなくはないですが、ギルティやら信じて二度と来なくなってしまうのも違うと思いますし。

しかし、今回の客が残した件については、この「よろしかったらまたどうぞ」を言いたくなかったのでしょうね。



また、「初回は小か小豚(小どんぶり豚肉増し。プラス100円)で。本当に量が多いです」といった断り書きが券売機に張ってありますし、注文方法に迷っているような客であった場合、また2,3人で相談しながら買っているなど初来店らしき雰囲気があれば、「初回は小か小豚(ry」といった声が店主からかけられる場合があります。相談の内容が「でも大にしないと来た甲斐なくね?」みたいな内容だったりもするので……

全マシにすると、サービスとして同じ料金でありながら、ヤサイを山盛り、スープをやや濃い目に、アブラ(豚肉の脂身のどろどろに溶けたのをおたま半分くらい?)上乗せ、もちろんニンニクも多くのった状態で提供されます。

金を払えば何をしても・・・というのは何なんだろう、騒いだのかな?16席で肩つきあわせて食べる空間で。



ツイッターでつぶやいたことについては・・・なんというか。

仙台店では、およそ半年ほど前まではメルマガサービスを利用して、登録者に臨時休業の連絡やら「常連の貫禄漂わせつつ"アレ"とお申しつけくだされば卵を1個無料で提供しています!」などといった連絡がきます。
 
その中に、「ツイッターを始めようかとも思ったのですが、先輩に「お前は余計なことつぶやいて炎上しそうだからツイッターはやめておけ」と諭され、自分でもそれには同意だったのでツイッターはやめておきます」というものがありました。

メルマガを提供しているサービスが終了してしまったことによりツイッターに移行したようですが、まさか半年でこれとは早い、早いよ


二郎というとなにやら気難しいラーメン屋の筆頭のように扱われることさえある気がしますが、どちらかというと客の一部がネットやらで過激化している風を装っているだけだと思うので、店主がどなっているところなど見ないですけどね

2016年9月10日土曜日

ジパング 感想 打ち切りや圧力はあったのか

ジパングという太平洋戦争を題材にした漫画がありました。作者はかわぐちかいじ。深蒼海流(源平合戦)ではないほう。

現代の自衛隊のイージス艦が太平洋戦争時代にタイムリープし、その時代の軍人が「理想郷ジパングを作り出す」ために未来の知識を濫用するという話。

結局、目的を前に軍人草加巧は死んでしまい、その後改変された歴史の先の日本は、現実の日本とさほど変わらないものとなった。改変されそうになった日本を、自衛隊側の人間(角松洋介)が政治的に干渉し、現代の日本に近づくよう誘導していたからだった。

・・・という話。だと思っていました。

主に不満としてあげられる点は、帝国海軍の軍人であった草加巧が思い描いたジパングが、実現されないどころか、具体的にどのようなものであったかも説明されなかった点、結果的に今の日本とかわらない結果になったように見え、タイムリープして戦争中に活動した意味がわからない点・・・あとは主人公のやっていることの意味がわからないなど(大規模な戦闘を無視して多数の死者が出ることを傍観し、目の前で死にかけている一人を見逃せずに干渉することになったりする場当たり的な行動や、最後に自分だけ死なずいい生活をしている終わり方など・・・)


今となって読み返してみて、上記のような感想が結構変わりました。艦これなんぞをやって戦争の流れを知ったおかげだと思いますが。

結構、作者が最初に思い描いた通りに終わっているという印象です。

日本が戦争に負けず、死者数を抑えられ、原爆で市民が死なず、そして現代の日本のような発展へとつながるという感じでしょうか。

ジパングというのは、どちらかというと戦前日本の要素の強い国になるのかと思っていましたが、戦後日本(敗戦日本)をベースとして戦争に負けなかったという結果を付け加えたようなものだったのだろうと思います。


そう感じた理由は、草加が日本の行く末を見たときに、戦後日本の復興、発展を肯定的に捉えていたためです。高度経済成長を果たした日本の姿に涙を流し、「歴史という物語の中において、この国の未来は輝いている」と表現するなど、戦後の日本の発展は肯定されています。自衛隊のあり方や角松の考え方には、角松の前ではまったく評価していませんが(ただし、山本五十六との会話では自衛隊の専守防衛を肯定的に伝えているようにも見える。専守防衛だから手出しはしてこない・・・という皮肉もあるだろうけれど)

滝参謀(滝栄一郎)という草加巧をライバル視する人物がいますが、彼に対しては傍観者でいることを望み、自分のように未来を知って行動する、ある種の「超越者」としてではなく、単なる一般人という立場を与えています。

滝には、「平和な日本で戦争のことを誇張もせず、隠すこともなく、ありのままに語る老人の姿を思い描いている。」と語ります。滝にはそういう未来を手に入れてほしいと。

滝は、お前にはそのような穏やかな未来は得られないと反発していて、この未来を手にする資格がないのは原子爆弾を手にした草加側のように扱っていますが、この「戦争をあるがままに語る」資格は現代の日本にもないものになります。草加が変えたかったのはこのあたりではないだろうかと。

しかし、歴史を改変され、アメリカと対等に近い講和を結んで終戦を迎えた日本に対し、菊池は「戦争を続けるべきだったという声もまだ多い。この世界の日本人には反省が足りていない。この日本(講和日本)は俺たちの知る日本(敗戦日本)ほど高度な発展は望めない」というような内容を語ります。

敗戦と戦後の発展は無関係とは言い切れない。あるいは、その後のアメリカによる占領、安保体制なども影響するかもしれない。そのあたりを上手く制御するために、角松は動いていたのでしょう。

この点で、アメリカの軍人が語っていることに、戦後アメリカ政府にエイリアンが干渉していて、そのエイリアンはキューザックという名前で呼ばれているという噂が広まっているとのこと。。そしてこのキューザックという名前はクサカに似ていないか?と話しています。実際に動いていたのは角松なのに、草加がアメリカ政府に影響を与えたと解釈されているのは、これは角松が草加の考えに従って動いていたということなのでしょう。草加の最期での、「聞いたらあなたはもう戻れない」という言葉のとおり、角松もまた草加が考える「理想郷ジパング」を受け入れたのではないでしょうか。

間逆の考えを持った2人が、それぞれ別々に動いているだけだった物語でしたが、最後にお互いの理想を認め合い、新しい日本を作ることにした・・・という見方もできる。角松としては、もうどうにもならないところまできてしまったから、次善の策として後始末をしたという見方もできなくはないけれど。


そのほか、戦争の流れ。草加の行動は意図が読みづらいが、結局戦線を縮小させるために動いていたようです。

・ガダルカナル
草加が角松と袂を分かつきっかけになったのは、ミッドウェー後に日本がアメリカ、オーストラリア分断のために行ったガダルカナル攻略の際、これを勝利させようと動いていると解釈されたためでした。

草加は、ここでの戦闘ではアメリカにダメージを与え、今後日本が講和を求めた際に受け入れやすくするための国民世論を作り出しておきたかったと述べています。また、歴史上このとき死ぬことになるのは航空基地設営のための、武装の少ない土木工作を主目的とした人員でした(もちろん民間の作業員ではなく軍人ではあるが、上陸部隊を迎撃するための支援、防衛拠点を用意されていなかった様子)

その後、ガダルカナルでの抵抗を続けさせた好戦派の参謀(辻政信)をガダルカナルに突撃させ、彼に撤退の必要性を実地で認識させるという荒療治を行い(川口支隊の前に、一木支隊と一緒に上陸した?)、ガダルカナル、ソロモン海、ニューギニアからの撤退の足がかりとした。

ほか、玉砕のはじまりとなるアッツ島からの撤退、物資の輸送を困難にした潜水艦対策にはみらいも参加し、また撤退を急いだことによりマリアナ沖海戦を早期に起こし、サイパンを要塞化するなど、ここでの戦闘に備えていました。

このあたりはアメリカ側の攻撃機の到達距離から本土を守るためのエリア、日本からの物資、兵員の輸送可能な距離などを考えた絶対国防圏というものが後に考えられ、しかしこの"防戦"が採用される段階というのは攻勢に出るのが不可能になったという背景があったためで、もう防戦を行うための戦力がなく、アメリカ側の戦力も生産、補充の結果充実していたために防衛しきれなかったという失敗談があります。
正直、防戦してどうなるのかという部分もあるけれど、それで戦力を削いで講和に持ち込むという考えはわからないでもない。

・満州、インド、中国共産党
満州ではラストエンペラー溥儀の暗殺、インドではイギリス戦力を削ぎ、インドの独立を支援し?、毛沢東に石原莞爾が会いに行く・・・など。
陸軍を撤退させるなり講和終戦を認めさせるなりのために溥儀を暗殺したようです。その後ソビエトはどうなるんだろうなあ・・・インドがどうなったかはよくわからない。
毛沢東に会いに行ったことで、日本と中国共産党が手を結ぶことをにおわせ、アメリカを警戒させて終戦に向かわせる材料にしたのだろうか。ソビエトも警戒しそうだけど。

・ドイツ
ドイツへヒトラーを暗殺させに部下を向かわせたものの、その間にポーランドの科学者から濃縮ウランを受け取り・・・という流れがあったものの、ここでもしヒトラー暗殺に成功していたらアメリカは太平洋に全力で来られるようになる気もする。日本が早期に講和を結んだあと、ドイツはどうなったのだろうか。
アメリカ(ルーズベルト)は対ドイツ参戦のために日本から宣戦布告してもらいたかった部分も大きいようで、当時の日本への評価を見ると、ナチスと手を結んだという形で、満州やら上海への攻撃、ユダヤ資本との関係などで国際的な立場が危うくなった面もあるようだ。
対ソ連へのけん制として結んだ部分もあった三国同盟も、結局はドイツからソ連へ攻撃をはじめてしまっていたり、またドイツ側としては対ソ連への協力を期待して日本と同盟を結んだのに、日本がアメリカを戦争に引き込んだあたりがあちらとしては誤算だと言われていたり・・・
三国同盟のあたりは判断に難しい。近衛や松岡外相も世界情勢が変化した1年後あたりには後悔していたとも言います。(独ソ開戦後の情勢下でなら同盟を結ばなかった、またはこの時期に権力があれば破棄するなどの行動をとっていたということだろうか)




これらの点で、草加が戦争を終わらせようと動いていたことは受け入れられたのですが、そこからどうやって日本とアメリカが終戦に至ったかがよくわからない。

陸軍には宮城事件に参加したメンバーのリストを憲兵に渡すなどして戦争継続の考えの強い人物を拘束したりしているが、1943年時点ではもっと多く戦争継続を唱える人がいたことでしょう。海軍のほうは善玉だとは言い切れないでしょうが、米内も復帰したしでまとめられないこともないだろうか。一応空母や戦艦の数もマリアナで多数目撃しているわけですし。
近衛文麿に総理として国をまとめてほしいと声をかけに言っているけれど、このころの近衛なら覚悟をもって動けただろうか?

アメリカ側は原爆の存在やら、角松からの証言やらで終戦に動いたと判断できなくはない。ドイツのほうが主戦場だろうし。(ルーズベルトが共産主義者のスパイに洗脳されてソ連のいいなりだったとか、日本人に対する偏執的な憎しみに囚われていたとかの陰謀論はジパングには反映されていない)

正直、陸軍とそれをフォローする国民をどうまとめたのかだけはわからない。
「突然終戦になったのは納得できなかった。打ち切りの可能性もある」という感想に、私は日米間でどういう動きがあったのかに対して言っているのかと思っていました。しかし、今から思えば日本(主に陸軍)をどう止まらせたかあたりもとても重要な問題なはずです。日本の生命線である満州は、肯定の死後結局どうなったんだろう。

2016年9月6日火曜日

雨港基隆 日本語版発売!・・・・・・・せず?

雨港基隆が今年7月に日本語版を発売予定と聞いていたが、何の音沙汰もない様子

雨港基隆 日本語サイト

9月20日に続報とも書いてあるけど、これは去年とかの話だったと思う。

ネット上で何らかのアナウンスがないかと探してみても、開発凍結かな?という程度のうわさしかない。
ギャルゲーの延期は日常茶飯事ではあるが、何の情報もないというのは怖い。


このゲームは台湾民主化の中で大変重要な事件である228事件の様子を描いたギャルゲーです。
エロはないらしいけど設定上グロはあるので年齢制限あり。
ヒロインも台湾(本省)人、外省人(国民党側)、日本人と台湾人とのハーフのような感じになっている。

wikipedia 2・28事件

この事件以降、政府側が反政府活動をするものを言論弾圧、逮捕どころか堂々と殺害する白色テロ時代が続き、だいたい蒋介石が死ぬ1975年あたりまで台湾の暗黒時代が続くのだそうな。

この事件については長らく口に出すのも許されない時代があったようですが、今では戒厳令も解除され、記念碑も作られ、ギャルゲーも作られsteamで世界に向けて配信されています。しかし英語版も日本語版もなしなのが現状。

この作品の続編にあたる『她和他和她的澎湖灣』はsteamで配信されるゲームでは英語、中国語(繁体字)の字幕が入る予定。
(繁体字が使われるのは台湾、香港、マカオあたり)





体験版より、字幕切り替えの例
だが男だ。

上の画像は主人公にあたる尹暁風。ギャルゲ、ラノベ主人公らしい消極的な性格で、台湾へ逃げることになったものの台湾という土地にあまり興味がなく、台湾で暴れていたと聞いている日本軍にもいい感情は持っておらず、早く戦争が終わって故郷に帰れるようになる日を待っている。

こちらの事件は澎湖七一三事件という、中国国民党による外省人(山東あたりから台湾へ逃げる戦争難民)を虐殺した事件?らしいのだがこの事件についてはwikipediaにも日本語記事がない。
なので事件のきっかけやらがよくわからない。


話を雨港基隆に戻すと、この作品にはラノベ版も出ており、そちらの日本語訳は小説家になろうあたりに一部投稿されている。原作者の許可ありとのこと。

小説家になろう 雨港基隆 桐花雨

twitter上にもう少し先まで翻訳した人もいて、リンクからドキュメントファイルが見られる

台湾ラノベ翻訳するマン
https://twitter.com/harakoatom/status/647584109997395968

あるていどゲーム版と同じシナリオなのだろうか?

こちらの日本語化されたものを読んでいると、外省人の女の子(メインヒロインの一人)が自己紹介するにあたり、

「私は陳鈺。金の玉と書いて鈺よ」
と言っていたりして主人公はびっくり。しかしもう台湾に日本人もいないことだし・・・と考え、別に何も言うまいという態度をとる。

そうなると苗字のほうの陳もまたチ○コをイメージしてつけたのだろうかとか思ったりする。いや台湾でもメジャーな苗字であるのにそれは・・・

深い意味はないと解釈してとラノベ版を読み進めていくと結構このキャラに関する背景が明らかになってくきたのだが、そこからネタバレ覚悟で、この陳さんってひょっとして…とググってみたものの、父親の名前は別だった。

陳峰・・・・・・これはチン・ポウと読めばいいのだろうか?


2016年1月27日水曜日

ムシブギョー、少女前戦のキャラ初出

ムシブギョーの最新話で登場した壱与というキャラのデザインが中国のスマホゲー(日本でも配信予定)のキャラに酷似しているとのこと。

デザイン的には・・・Kar98Kはナチスドイツで使用されたライフルということで、ナチスの制服を検索してみると似た感じのものはあるので、共通の元ねたがないものかと少し探してみる。

ひょっとしたら、本当に偶然かもしれないじゃない。


帽子、腕章、ボタンの配列など。

 NS.MH アルゲマイネSS将官用ロングコート 

ボタンがダブル(二列)なのは軍服というよりコートのほうなのだろうか

カギ十字あたりはそれぞれごまかしている。

コートにチェーン(モール?)をつけるのかどうかは知らない。

スカートのレースとかブーツとか、これは似たもの史実にあるのかなあ・・・ないだろうなあ・・・
このあたりはコートをワンピース風の制服にアレンジするという点も一致しているということか。

ゴスロリファッションで似た感じのものを探すことはできるかもしれないが、キャライメージとして「軍服とゴスロリを合わせた感じで!」と指定されたとして、偶然の一致というのも難しいいよなあ・・・

ということで、やはりよく似ている。


ムシブギョーの初出は2016年1月6日。

少女前線のキャラについての説明では「登場予定のキャラ」となっているものもある。
これは日本ではまだ出ていないということか、中国でもまだ出ていない、最近デザインされた登場予定のキャラということなのか?

・・・と思ったのだが、去年(2015)の10月25日に日本語でフィギュア化を伝える記事も見つかった。


新興フィギュアメーカー「HOBBY MAX」より「少女前線 モーゼルKar98K」フィギュア化決定


そもそも初公開は8月だったとのこと。

漫画家の人がどうデザインしたのかは知らないけれど、パクリと考えられても仕方がないくらい少女前線のほうが先だったようですね。というか、やっぱり不自然に似すぎ。

2015年12月23日水曜日

ロボットが労働者の雇用を奪う時代

アマゾンで安く買えた『大変化する株(1990)』を読んで。

鉄腕アトムだったか火の鳥だったかで、ロボットが一般化した社会で問題になってたりした気がします。

ロボットの普及により、人は働く必要がなくなるどころか、仕事をとられて給料が手に入らなくなり、生活が苦しくなる人が増えるというディストピアな設定で、労働組合がロボットの解雇を要求し、ロボットを破壊するデモンストレーションが行われていたりするような話。

中国、産業用ロボット購入数で世界一に

勢いではすでに中国が上回っている様子ですが、現在使われているロボット数では日本、アメリカのほうが多い様子。作るのも日本が強いしね。

しかし、アメリカよりも日本のほうが多いというのは、国の規模なんかを考えてもいまさらながら驚くべきことなのかもしれない。

日本の車が世界の市場を席巻し、貿易摩擦を起こしていたころからもう長い時間がたちますが、ロボットによる効率化などで対抗しようとはしなかったのでしょうか?

と、そこにはやはり上述のロボットと労働者の関係があるのではないだろうか。
もちろん、現在の日本でも、人力での流れ作業がないわけではない。食べ物などやわらかかったり、果物の大きさの不均一さがあったり、また車ほどに単価が高くないという場合には人間の対応力の高さはまだ機械にはない。

日本でロボットの導入を行ったのは機械が人間の代わりに全部やってくれるユートピアを作るためにやったわけではなく、工業生産の効率化のためであったはず。上述の株の本にも、オートメーション化(ロボット導入)を進めている企業は伸びると、株価が上がる企業の選び方にも挙げられていました。

上述の本、1990年1月に発売され、株の本としては株価がまさにピークになったあたりに出た本になります。その当時、もっと株価が伸びると思っていたろうと思いまして。きっと明るい未来を描いているんだろうなと。

当時の情勢では、ジャパンアズナンバーワンとして国外債権の多さやら、世帯あたりの貯蓄額の伸びやらを誇っており、今後も株価は伸びるだろうと予測していました。
12月末の日経平均株価3万8915を上回り、1990年中には4万を超えるであろうと、さらには個人的な予測では1990年前半のうちに4万超えを達成することも十分可能との見込みである・・・と。

結果をみると、実際にはここから株価は下がっていくことになります。株価のピークは1989年12月、不動産のピークは…市街地価格指数のピークが1990年9月ごろらしい。バブル崩壊が叫ばれたのはよくわからないが、景気指標では1990年11月にピークがきていて、数字の上でのバブル景気は1991年2月まで。

就職の学生側の売り手市場は1992年度まで?で、バブルの象徴みたいにテレビでもいの一番に出てくるジュリアナ東京は1991年5月から1994年8月末まで。1993年11月ごろの警察の指導によるお立ち台撤去あたりから客足が減ったというので、それまではかなり盛り上がっていたのでしょう。

槇原敬之の『どんなときも』は1991年6月に公開された映画『就職戦線異常なし』の主題歌であったそうな。
就職活動に苦労する話ではあるのだけれど、バブルの時期のかなり贅沢な悩みの中での就活の模様。
友達との見栄の張り合いで就職先を妥協できないみたいな部分があった様子ですが……まあ贅沢な悩みですわな。

これらの株価と社会の動きを見ていると、確かに株の値動きは実経済よりも数年早いのかもしれません。

本題のロボットの話にもどります。

株価が上がる企業の選別方法について上述の本で書かれていました。1990年(実際書かれたのは1989年)のころ、大手企業の中でも多くの株が発行されていて、株家も高い水準にあった大型株では価格は下がり気味となっていて、株価を押し上げる原動力となっていたのは小型の株が伸びてきていたことにあるようです。

これはこれで今となっては株価が伸び悩み始めていた兆候なのではないかとも考えられる気がしますが、その当時株価を伸ばしていた企業の目安となるものは、株式の分割とオートメーション化、それにともなうリストラでした。

1990年の本に何の臆面もなくリストラという言葉が出てくることに驚きました。もっと後になって、クビの言い換えとして叩かれたころのことしか知りませんでしたが。

Wikipediaでも「リストラはペレストロイカというロシア語を英語化したものだ(要出典)」と書かれています。出典なんて知らないものの、1985年ごろから始まったらしいソ連のペレストロイカ同様、本当に最初のころはプラスの意味で使われていたらしい。

オートメーション化というのは、つまりはロボット、機械による自動化であり、ロボットの導入であるはず。
著者は、「オートメーション化による効率化が企業の利益を増大させ、それに伴う人員の再配置のためのリストラを行う企業は今後大きく伸びることが見込める」と書かれていて、ひょっとしたらクビではなく工場数を増やしてロボットのオペレーターとして再雇用することを意味しているのかもしれない。

また、景気がよかったころには解雇しても特に再就職が容易であるとの背景から問題にされていなかったのかもしれない。

企業のリストラが一般化したのはいつからですか??[Yahoo知恵袋]

株の分割が実際の企業の利益にどう意味があるのかはよくわかりませんが、任天堂なんかが株の50分割なんてのをやっていることがいい例として挙げられています。
分割は、高騰していた株の単価をさげつつ数をふやし、多くの人が手にできるような状態にして、時価総額(株価の合計)のさらなる上昇を目指せるようにするという点で、確かに株価の上昇には寄与するようです。


日本でロボットが普及したことには、工業用ロボットが出始めた時期・・・あるいは実用段階になりつつあった1990年ごろに、バブル景気によって労働者の解雇が容易だった時代が影響しているのではないだろうか。そして、そのような異常な盛り上がりを経験していない以上、他の国ではロボットを普及させるチャンスがないのではないだろうか。

あるいは、ロボットを普及させたときの労働問題などについてすでに起こっていて、ロボットの導入台数をある程度で止めなければならないのかもしれない。

現在の日本では、若者の給料の低さが問題になっており、それの一端は年功序列でバブル期以前の社員の給料を下げるわけには行かない・・・というような部分もあるのですが、ロボットの普及もあるんじゃない?と思ったり。

なお、都市部の平均収入は1997年までは伸び続けていたらしい。
消費税、アジア通貨危機あたりですかね。このころにはバブルの不良債権もだいたい片付いていたらしいのですがどうして不況がこんなにのびたのやら。


ロボットが使われていること、あるいはロボットを使うことによる社員ひとりあたりの収入は、果たして伸びるのか抑えられるのか。

ロボットが働いてくれる分を社員で分ける・・・と考えれば、つまりロボットの給料をもらえてしまうと考えれば社員の給料は上がる。

ただ、ロボットの維持費、ロボットの所有者である企業の取り分等を考えるとわからない。

また、物余りという状況の中では、ロボットの生産力と維持費で見られるコスパは悪化しているわけで、会社はロボットを従来の能力に維持するために投資しながらも、社員の取り分を減らさねばならないとなっていくのかもしれない。

仮に今日本から産業用ロボットをなくしたら・・・・・・
そのときは、きっと生産性がガタ落ちになり、生産品の価格はやたら上がり、同時に収入も大きく下がって日本崩壊となるに違いない。
しかし、ならばこの狭い国土にアメリカの倍の数のロボットがあるにもかかわらず、現在の日本の苦境は何なのだろうと考えるとわからなくなってしまう。

なぜ、他の先進国は日本のようにロボットを導入しないのか?
なぜ、ロボットがあっても日本人は豊かにならないのか?

実際のところ、高度経済成長からバブルのころなんかが異常なのであって、現在の総中流社会なるものを維持することは、実質不可能だったのかもしれません。デフレが終わってからじゃないと判断できませんけれど…て、今もまだデフレなのだろうか?ちょっとだけ上がってるのかな。

2015年12月6日日曜日

ユーフォニアムは児童ポルノらしい。マジかよ那珂ちゃんのファン辞めます

糞箱も売ってくるか。

久美薫氏のユーフォニアム批評について、

・批評内容を読んで同意できない
・実害が生じるから叩く

の2つの立場から、批判する理由を考えていきます。今回は下の、この批評による実害のほう。

前半のほうは前の記事

実害があるから叩いているなどと言ったら、久美氏などは「みなさん痛いところを突かれてお怒りの様子。効いてるwww効いてるwww」と喜びそうですが、今回は別の話。


この批評は、特にアニメなんて興味の無い層に浸透しかねない危険を持っています。

幸いにして、「金管楽器は男性器。金管楽器を持った少女の絵はすでにポルノ」という意見については全く受け入れられていないので、この論理をまともに受け入れる人はごく少数でしょうけど。

こういうのは、ゲーム脳、アダルトゲームで人間性が破壊されるといった主張が今までにも出ていましたが、それらと共通する似非科学みたいなものです。

似非科学は何故信じられるか?という本がありました。読んでませんが。しかし、今回こういう怪しい批評を広めるために必要なものは以下のようになります。

・書き手の肩書き(医師、専門家、○○年の実績)
・批評内容の"インパクト"
・批評対象への嫌悪感

これくらいである。上記に正しさなんてものは一切含まれていない。
インパクトについては、なるべく分かりやすく、かつ内容の風呂敷を大きく広げてやることで、短い時間に強い衝撃がドン!と来ることになる。それがインパクト。

今回は、萌え美少女の出てるアニメは海外ではポルノ!しかも今問題になってる児童ポルノ!世界中で日本だけが異常!

という内容で、大変分かりやすく「萌え豚死ね」と結論が出る。

多数の著書を持つメディア批評の専門家先生が言ってるので間違いないらしい…と肩書きをチラつかされると、どうにも弱いものです。そして、そもそも批判されているのはオタクやらオタクで構成された業界であるアニメ業界。

このような論評を見たアニメに興味の無い人は、比較的受け入れてしまいがち。
そういう論理は、「オタクはキモいと思うが、別に明確な根拠はなく、過去にオタクに嫌な思いをさせられた個人的なエピソードがあるわけでもない」という人の心のスキマを埋めてくれる。
心の奥底にあった、オタクへの蔑視に形を与えてしまい、目に見える形でいじめ、社会的批判などを展開する足がかりを作ってしまう。

短くまとめると、
「偉い先生がオタクはクソだって言ってた。だから俺もオタク叩くわ」
となるのです。

自分に自信の無い層の人間が、人種差別などを通して自分の優位を示せる相手を見つけると、まるで自分が優れた人間であるかのように錯覚できてしまうこととも似ている。

ネオナチに無職が多いとか、ネトウヨはニートが見下せる相手探して韓国人(在日)を馬鹿にしている…などといった論理と同じです。

一人ひとりがどれだけ正しい意見を持っているかとかは関係なく、業界批判が広まってしまえば収集は大変になっていく。戦いは数だよ兄貴。

これらのポルノ批判が正しいものであるなら、考え直さなければならない部分もあるのですが、正直根拠に乏しい部分があり、額面どおりに受け取るわけにはいかない。

さらに、この久美氏は自分の批評の着地点について考えていない様子。

批評というものは、議論の行き着く先のゴールを求めて展開しているわけではなく、単に思いつくままに自己表現しているだけのものです。訳の分からないことを言って、何を求めているのかが分かりにくいのでスタンスを明確にしてほしいという意見が出す人もいるわけですが・・・最初からゴールなど用意されていないんですよね。

なので、議論のゴール地点を堅持する必要もなく、
「金管楽器は口に咥えないから違う?咥えているように見せるだけで成功なんです」
「批判が多いのは痛いところをついたから」
「(適当な論理を展開し)私はもっと深いことを考えて批評しているからあなたの意見は間違い」

とだけ言っておけばなんとなくそれっぽく見える。言い逃れがうまければそれだけでやっていける。



日本が児童ポルノの温床だというのはアグネスあたりが言ってますね。
その実態はAV女優が海外では児童に見えかねないだとか、欧米で問題視している児童というやつはティーンエイジ未満のことで、ティーンポルノは大人気とか、設定年齢18歳のエロゲーのヒロインがランドセル背負ってパンチラしてるとか、ハイエースするという新たな動詞が生まれつつあることとか、全く無根拠な部分から、かなりアウトに近い部分までさまざまです。

(ティーンポルノ:十代の女の子が出演するポルノ。ただし実年齢は19以上。日本の女子校生ものAVみたいなもの。ただし、このティーンポルノ、日本人から見ると余裕で30代以上)

日本では洋モノポルノは60歳以上のババアAVより需要がない

とはいえ、アグネスも金儲けのために言ってるだけですし。

児童ポルノというやつは、撮影の段階で被害者が発生しますし、またそれを見た側が子供を襲うようであれば、児童ポルノは犯罪を助長しているということになります。(ソースはない)

そういったポルノの流通と犯罪の件数は無関係とも、また人によっては逆の相関がある(流通を増やすと性犯罪が減る)という主張もあります。

もっと根本的なところとしては、性犯罪を起こさないよう教育を見直すところから始めればいいんじゃないかな?とか、最近パラオでの日本の教育について書かれた本を思い出しつつ思いました。

仮に児童ポルノについては、流通量が増えれば児童を対象とした性犯罪が減るとしても、生産、流通させるわけにはいかない面がありますが。生産する段階で被写体はまず被害者と言えるでしょう。二次元作品なら被写体の被害者はいませんが。


google検索 エロゲーメーカーminori、海外からのアクセスをブロック

あなたの国で、日本が児童ポルノを拡散させていると批判されており、我々もバッシングを受けているので要望のとおりに対処いたします。

みたいな形で海外からのアクセスをブロックし、海外のファンへの問題提起を行ったことも。
根本的解決にはならないでしょうが、日本側だけに問題を押し付けるのも違うと思うのです。

また、近年の少女の商品化としてはアイドルの低年齢化があり、だっこ会とか問題になりました。
ああいうのはさすがにダメだと思う。 ノータッチですよ。

ユーフォニアムは巻貝であり女性器の暗喩に決まってるだろJK

久美薫という人が、響け!ユーフォニアムを児童ポルノと批評し、話題になっています。

特に、原作のラノベではなく京アニの作ったアニメのほうを。

おたく文化と児童ポルノ

批評というのも罪なもので、それが多くの人に受けいれられるとは限りません。

エヴァなんかを見て「セカイ系」と分析、批評したことについて、それへの反対意見なんかも多くありました。
それ以後、アニメに対して「セカイ系www」とレッテル張りをすることは、その作品に批判的で、、未熟な子供の娯楽と切って捨てるような部分も出てきていたため、現在ではもはやセカイ系と分類すること自体が作品への批判であると受け取られても仕方の無い状態になっていると思います。


以前、私が好きなラノベ『イリヤの空、UFOの夏』について、主人公のロゴスがどうの的な哲学的な分析を行った人がいた気がします。

その際に、2chの作者、作品ファンのスレッドにてこの批評が正しいのかと話題になりましたが、結局は間違っている、ズレているという意見が大勢を占めました。
その際、「批評っていうのは作品をいじりまわして好き勝手言う新しい作品。批評家先生の自己表現なんだよ」とうそぶいてみせた人がいました。

今回のものもそういう面があることは否定できません。また、この人の名前で検索すると出てくる記事として、

アニメ業界の皆さんが久美薫に怒りをぶつける裏事情


などもあり…上のtogetter2つはともに本人が自分でまとめたものなんですが、要するに炎上芸人ってやつですね。まずは目立ってナンボってところでしょう。

そのほか、批評の手法を紹介している本のamazon書評にて、

「批評」とは何か? 批評家養成ギブス(amazon)

>「それは作家の意図ではない」と言われても批評は平気。なぜなら批評は作家自身の無意識まで暴くのだからと言う。

このあたりはまさに、久美薫氏が展開している「あなたがどう言おうと私が言っていることが真理。反論があるのは痛いところを突かれてっしまったからですよね?効いてるwww、効いてるwww」という論理と一致する。

ユーフォニアムが男根であることも、アニメ業界を食いつぶしているのが年長のアニメ業界人であるとも思いませんし(スタッフの待遇は、業界の内から外から、改善されていってほしいとは思っている)、またツイッター用資料として近場の幼女を盗撮した件を指摘されると、今度はポスター上のキスしてる男女を撮影して「盗撮!」とごまかしてみたりと…あまり真に受けるべきではない気がするのですが、こうも簡単に大勢が釣り上げられてしまっているのは何故か。


理由としては、

・この批評が正しいとは思えないから
・この批評が実害をもたらすものだから

このあたり2つの事情があるからでしょうか。

まず、正しいと思えない点について。

ユーフォニアムへの批評としては
・『響け!ユーフォニアム』は児童ポルノと見分けることが難しい。それは児童ポルノとアニメ作品の間に明確な境界線を作ってこなかった業界側に責任があるのである
・世界(西洋人)からみてそうなのだから、日本の文化や表現の自由が歪められる結果になったとしても、それにしたがって修正されねばならない
・そもそも、京都アニメーションは文学的美しさを持った原作本にセックスアピールの暗喩をちりばめ、性に訴えかける低俗な"商品化"を行っている、意識的なポルノの創造を行っている組織である
少女が大きな楽器を抱えている様は、楽器が男根の暗喩であると分かる

…といったことを言いたいらしく、特に最後の"楽器が男根"という部分に「ないわー」と批判が殺到している。フロイト先生だって楽器になんて言及してたっけ?

楽器=男根は、もうそう見えるんならそう見えるんだろうの世界なので、今後ペンでも魔法のステッキでも酸素魚雷でもなんでもチ○コに見えてしまうなら仕方がないよね。

フロントミッションオルタナティブ(戦争ゲーム)のライフルの名前が全部チ○コのスラングな件


で、それ以外について。

・児童ポルノと日本のアニメの境界
久美氏は、手塚治虫の作品が外国で批判された件について、「子供に見せるべきでないものを見せている。規制しろ」といわれたことをセックスのことと断定していますが、これはおそらく勧善懲悪ものの単純な作品にしろだとか、血や暴力の描写が多いと人間性が破壊されて・・・みたいな話と思われます。

そういう面で、日本と海外とでは表現の自由やら、方向性(正義は必ず正しいというアメリカ的な表現と、それ以外(日本以外でもヨーロッパでも)での、正義の味方が生み出す被害者の苦しみ(成敗された悪人の子供が生活に困ってしまうとか)みたいなもの違いとかは優劣ではないですよね。

・西洋人の価値観が正しいか・・・といったらそうでもない。グロバカってやつですね。
というか、西洋コンプだと気づいているんならそれに批判的になってもう一度自分を見つめなおしてみてほしいもの。

・幾多のパンツアニメを抑えてなぜユーフォニアムが選ばれたか
ディスク版で規制解除されてパンツやら乳首やらが出てくるアニメでもないのに、なぜにユーフォニアムが槍玉にあがったのか。

女の子たちが吹奏楽で青春を謳歌しているだけだ!それを応援していて何が悪い!と主張する男性視聴者に対し、それにセクハラ的な嫌悪感を抱く女性がいてもおかしくないと思います。

これは、作品に登場する女の子に内部構造を求めるか否かというような議論を見たことがあります。『美少女の現代史』とか、アニメ漫画の歴史を分析するような本とかに出てきます。

ピーチ姫のように、ただクッパに攫われて主人公の助けを待つだけの中身スカスカのハリボテを肯定するか、さもなくばワガママだったり気まぐれだったりといった個性を有し、主人公(視聴者)の意思だけではどうにもならない思惑を持って動く、いわゆるめんどくさい女を作品中に登場させるか…という部分です。

アルドノアゼロのアセイラム姫は、最初は前者のようなハリボテの存在であり、主人公二人(イナホとスレイン)は彼女のために平和な世界を作ろうと戦うのですが、最終的にアセイラムは平和のために自ら動き、自身の望む平和な世界を作り出しました。これは作者側(虚淵?)による、「お姫様」へのアンチテーゼであったと思います。


・少女のリアルな感情を覗こうとすることは裸を見ようとするようなもの

視聴者は、アニメ中のめんどくさい女の子を通して、リアルな女の子と同じく思い通りにならない相手を通しながらも、最終的には理解しあえ(というかデレる)、ハッピーエンドを迎える展開を求めています。(一方でチョロい子も多いけれど・・・)

「アニメを通して女の子を理解しようとする」というのもアホな響きですけれど、結局のところ男性作者が書いた男性向けの作品で出てくる女の子がリアルなものと考えてはいけない。
読者の側も

・めんどくさい女は嫌い
・相手の考え方を知りたい。そうすればこっちが合わせられるから
・絶対に理解しあえないけれど、女の子の心をストレートに描いた作品は評価する

と、さまざまな立ち位置があります。
ちょろい女の子(チョロイン)はラノベ乙、逆にとことんめんどくさい女は「女性作者のオナニー。萌え豚発煽って笑ってるとこ」と批判されることになる。結局残るのは、半端に女の子の内面を描いているようでいて、現実には存在しない架空の存在となる。毒を抜かれて培養されたワクチンのような、無害で自然界には存在しない女の子っぽい何かでしかない。

ユーフォニアムにも、多少男性視聴者の手に余る部分が存在します。

ユーフォニアムのジョイナス先輩クズすぎてなんで尊敬されてるのかわからん
「心底どうでもいい」発言など、理解が難しかったり受け入れられないと反応が出るのは仕方の無いこと。
私は特に強い思いいれも反発を感じることもなく、作品の流れを眺めていましたが…

>女性作者が描く『うる星やつら』のラムちゃんの裸はセクシャルな意味を持たず、あたるに向けたストレートな好意の表れ。むき出しなのは肌ではなくラムちゃんの心

と、前出の「美少女の現代史」で分析されていますが、心を見せることは裸をみせることと同様に抵抗を持つことであるというのも確かなことです。女の子の心を見ようとする男性視聴者、それに対し全裸の心をご開帳しようとした京アニに対し、女性の立場から嫌悪を示した…ということなのかもしれません。